「水際や青田に風の見えて行く」放浪の乞食俳人、井月のきれいな句。こんな俳人、つげ義春の「無能の人」で重要な扱われ方をしていなかったら知らぬままだったろう。自然を愛でる感覚は、この十年くらいで僕の中から欠落した最たるものではないかと思う。散歩する時間がなくなったことも大きい。小学校時代、僕はSFの大作をものするつもりでアイデアを練りつつ土手を一人で散歩する変な子供だった。以来ずっと散歩は好きだったが、しなくなったなあ。今のうちにしないと、夏が来たらそれこそ散歩どころの騒ぎではない。太陽から避難しなければならなくなる。