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大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2006年 08月 09日

JOURNAL

実に久し振りのバンドのリハ。だが場所はスタジオではなく、三島さんの車内だ。ドラマーよーちゃん欠席のシーズンにあとの三人が味をしめた形式。今日よーちゃんはダンボールを持参して登場。少し気の毒だったが、「このリハ、いい!」と感じていただけたら幸せです。でも、おっさん4人普通車で演奏したら狭いなあ。運転席で三島さんが苦心してソロを弾く度に、助手席の僕はネックで殴られそうで緊張した。二十日のテンホールズは、いいライブにしたい。僕個人としては何とか説得力あるバンドのサウンドを見せて「これでどうですか?」と問いたい気持ちもある。僕等の音に批判的な人にも観て欲しい。
 僕等の小学校時分は、八月のはじめに登校日があって、教師達の合唱団が歌う「三度許すまじ原爆を」を聴いた思い出がある。どの教室にも必ずあった「はだしのゲン」も、まあ、色んなレベルで心に焼き付いている。今はどうなのか?歌でいうと、反戦歌がポップスとして定着する例は少なく、日本には殆どない。ディランの例の「風」の歌があって、その圧倒的な影響下、沢山のフォーク歌手が日本でも出たけれど(左翼としてのミュージシャンの流れというか、枠組みはあるのね。僕は馴染めないし、今後も無関係だろう)長く歌い継がれるレベルのものが幾つあったか。もう何年も前だが、サザンが沖縄音楽へのオマージュとして発表した「平和の琉歌」は、超メジャーゆえのヒットであると同時に、超メジャーゆえ勇気のいるリリースだったと思え高く評価できる。海外では僕の知る限り先述のボブ・ディラン、ジョン・レノン「HAPPYCHRISTMAS」、エルヴィス・コステロの「SHIPBUILDING」は心に染みた。経験主義はやがて崩壊する。何かを語り継ぐためには、音楽も含めて、新しい言葉、ナラティフが必要だ。畢竟、言語の問題なのか。

by nogioh | 2006-08-09 23:09


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