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大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2008年 05月 12日

JOURNAL

風邪は長引いているが少しずつ良くなっている。昼間、昨日までの寒さは遠ざかり、歩いていると暑気に汗が止まらなくなった。残念なことだ。夜、レッスン。天性の良い音と、器用さを持った人。キャリアは浅いが、もうバンドを始めればいいと思う。夕方、僕と同じように鼻声の別の生徒氏から電話があり(ノラ・ジョーンズのアルバムを貸せという第一声だった。歌うのか?!)、その生徒氏が接した何人かのブルース界(そもそも日本にはブルース界などないが)の人のオリジナル曲礼賛主義の話を聞いて胸糞が悪くなる。バンドはオリジナルじゃなきゃ意味がない!と言っているアホは本当に多い。ブルースに限って、大切なのは先ずスタイルの継承なので、そんなものはどっちでもいいのだ。基本にコピーがあって、その追求の継続があって、創意工夫があって広い意味での先人の技術が観客、次世代の演奏家に伝わっていけばブルースマンは仕事を果たしたことになるのだ。創意工夫の一つは語り口というか切り口というか、その音楽に向き合う姿勢。その個性の模索は大変で、腐った日本語の歌を千曲でっち上げるより難しい。二つ目はアレンジやオリジナル楽曲による個性のアピール。これは創意工夫と言っても襞があり、お客さんへのサービス・礼儀、もしくはレコードを作った時のライセンスの問題に大きく関係する。どちらもお金にまつわる泥臭さと無縁ではない。コピーはそっくりに物まねをすること。完成していればここでまず仕事にしても良い値打ちがある。次の段階はそれを別なものに昇華させる(自分のスタイルをなんとなくでも持つ)。これは大切だが、演目がオリジナルか否かとは無関係。オリジナル曲を歌う自称ブルースバンドが、若くて上手なコピーバンドに到底敵わない例は一杯ある。敵わない、とする根拠はまあ、芸術的な深み、人間的な品性でしょうね。ブルースの形式でメロディのオリジナルはありえないから、やはり歌詞なんだろうが、言語芸術としての歌詞を言うなら、それは事業として面白いし、論ずる価値がある。ヴァン・モリスンみたいな例もある。だが「自己表現」などという陳腐な言葉に無理やり集約させて虚勢を張る高校生みたいなレベルでは困る。「とにかく曲を書いて何ぼ」という言葉にある危うい自信には、宗教っぽい妄信の匂いがする。だいたい「曲を書く」という言葉が恥ずかしい。僕のごく身近な人が嫌がっていた表現だが、僕も大嫌いな「(ラーメンの)スープが麺に絡む」という意味不明の言葉と同じくらい気色が悪い。まだまだ修行します。

by nogioh | 2008-05-12 14:19


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