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2006年 06月 27日 ( 1 )


2006年 06月 27日

JOURNAL

梅雨空にそぐわしく、鬱屈した夜更け、友人から借りっぱなしだった映画「チョコレート」を観る。アメリカ深南部の話で、時代背景は随分違うのに、一瞬にしてフォークナーのヨクナパト-ファ(彼の多くの小説の主要舞台である深南部の架空の町)を想起してしまうような黒人差別の場面が頻出する。差別は、本作のストーリー展開上の主要素の一つである。一人の黒人死刑囚の最期を見届けた看守と、その囚人の妻との恋愛談だが、内情は、それぞれが肉親の死という不幸を背負うことで一層複雑になってゆく。差別(因習)、死刑の是非、罪と罰と救い。主演のハル・ベリーは非常に美しく、ビリー・ボブ・ソートンの演技も渋くて胸に迫る。貸してくれた友人は「21gが好きなら気に入るかも」と云っていたが、魂(的なもの)の墜落と再生というテーマはよく似ていて、画面のトーンもイメージがだぶる。しかしポストモダン的な時間軸の混乱という手法や、贅肉を殺ぎ落とした簡潔な(ある意味、不親切な)展開の仕方など、全体の深みは「21g」が圧倒的に上回る。そう感じる理由の一つに、僕は邦題のセンスもあるのではないかと思った。「チョコレート」の原題は「MONNSTER'S BALL(モンスターの宴)」で、死刑囚の最後の晩餐の意らしいが、だとすれば、主人公達の、再生の糸口を掴んだかに見える愛の行方も、哀切である種不吉なものとして捉えられる。チョコレートは作品中の大事な小道具から取っているが、全体を把握しきれていない軽さは否めない。
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by nogioh | 2006-06-27 20:15 | Comments(2)