大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

nogioh.exblog.jp
ブログトップ

<   2006年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧


2006年 07月 29日

JOURNAL

池袋だるまや店主ハギー氏と梅田で会う。レコードのセールイベントでやってきたのだ。串カツなど食べながら話す。イギリスの白人ソウルシンガー、JAMES HUNTERが、今乗りに乗っていて、アレサ・フランクリンらとツアー中である情報を嬉しく聞いた。その昔、Howlin' Wilfを名乗ってVeeJays(!)というバンドを従え、シャープなブルース(シャープではあるけどサウンド的には、広い意味で南部的アプローチだった。つまり、スリム・ハ-ポや、スヌークス・イーグリンの味わいをエルヴィスの匂いも少しする性急なビートで表現しつつ、ヴォーカルはレイ・チャールズという感じ)をやっていた頃からのファンである僕は心から良かったなと思った。有り余る実力に見合う評価を受けぬ不遇の時代がやっと報われたのだ。ハギ-氏と友達になったきっかけもこのミュージシャンだった。夏風邪気味のハギー氏は仕事に戻り、保坂和志の「残響」を買って帰る。新聞連載と、文芸誌の連載を拾い読みして、方法意識の塊のような文章なのにとても読みやすいという印象を持っていた。併録「コーリング」を読んだ。十年以上前の作だが、一杯人が出てきて、それぞれ色んな事を考えたり、行動したりするが、主人公と呼べる人物はおらず、つまり人物を動かすことで、ある1日を有機的に描き切る、という小説。それで、他の誰でもないゆえに私は私、みたいな哲学的な思考もふわふわと全編を漂っている。更に何となく切ないトーンがある。新しいな、と今更思いました。
[PR]

by nogioh | 2006-07-29 01:10 | Comments(0)
2006年 07月 27日

JOURNAL

神戸からはるばる来てくれる生徒氏の長いレッスン。時間の気がねなく体系立てた話ができて充足感がある。僕の独り善がりでなく、着実な成長を生徒氏も感じ取っていてくれたらありがたいと思う。スタジオでアンプリファイドハーモニカの音の作り方を教えるとき、思いがけずここ数年覚えがないくらいのいい音に仕上がり、はしゃぎたくなる場面もあった。
神戸っ子なので、震災の体験を聞くと、逃げようとマンションのドアを開けたら、建物が裂けて、あるべき場所に階段がなかった、という凍り付くような体験を話してくれた。僕は炬燵の脇に布団を敷いて寝ていて、炬燵に積み上げた大量の本が全部体に落ちてきた程度の経験しかないが、あの地震は確実に新しい種類の恐怖を僕に植え付けた、と思っている。
[PR]

by nogioh | 2006-07-27 02:56 | Comments(0)
2006年 07月 24日

JOURNAL

ポール・ディ・レイという白人ハーモニカ奏者の「Nice&Strong」を聴きながら書く。非常に巧い人で、歌も力がある。でっぷり太ったならず者的風情だが、非常に凝り性で神経質なのが、音を聴けば判る。凝り抜いて完全に自分のスタイルを獲得したと云えるだろう。ルーツを感じさせないスタイルの突き抜け方、というのは、ブルースという密閉されたカテゴリーの中ではまさに稀有なことで、この人の場合、ポール・バタフィールドがきっかけだったと云うが独自性を勝ち得た今、バタフィールドとの因縁はもう見えない。今日のレッスンで、音色に天分としての特異性を持つ生徒氏に、スローブルースはなぜ必要か、を話した。あれこれ小面憎い駄々をこねてスローブルースを否定しようとするものだから、多少むきになって沢山熱弁したが、結局理由は一つ、一番難しいから必要なのだ。スローの巧いハーモニカ奏者なんて日本に何人いる?という話である。日本はブルースマンにシビアな国で、楽器で飯を食おうとするとブルースはやれない国だから情報も乏しいのだが、もしや一人もいないのではないかと思う。僕も含めて普通の水準の人は割りといそうだけど。そこを何とかクリアしないと独自性なんて、夢のまた夢、戯言もいいとこだ。
[PR]

by nogioh | 2006-07-24 01:59 | Comments(5)
2006年 07月 23日

JOURNAL

休日に開放(解放)された、自分の根本的な部分にまつわる気がする、生きることへの活力は僕を鼓舞し、酩酊させ、数少ない安眠を保証する。単に、明日も頑張ろう、という気持ちの高揚とか何とかなるだろうという楽観の生起、というのではない、卑屈を承知で書けば生きてていいのだやはり、という何物かによる「赦し」の追認のような活力。僕はそこまで弱っているのか、と我ながら呆れるが、進む方向は決まっていて、覚悟もできて、そこに進んだ時生じるはずの希望への想像も具体的に見える気すらしているのにどうにも停滞してしまう。その事実のもたらすダメージはやはり小さくない、のだろう。どれくらい自分が潰れかけているか、休日の度に思い知らされるが、息せき切って新しい数日をやりくりするうちにすっかり麻痺してしまう。少しずつでも自分の危機をクリアしてゆくしかない。方法というかヒントは、例えば病床で闘う友人の回復を本気で願う時、はっきりと自分に突き付けられている筈。それは信仰の対象なき身ではありながら、やはり「祈り」と呼ぶしかないものだろう。行動としての祈りの持続にはエネルギーの充填は不可欠で、あてなく車を走らせたり、思い切り笑い合ったり、理屈のいらない痛快な海賊映画に無心で快哉をあげたり、そうした「リリース」は得がたく意味深い。
[PR]

by nogioh | 2006-07-23 02:32 | Comments(0)
2006年 07月 22日

JOURNAL

耳で聴いた音階を、正確に歌ってなぞるって、難しいんだね、と実感を深めつつレッスンした日。1日中コピーばかりしていた十代の終わり頃、僕は、その特技(?)だけで、ハーモニカにまつわる情報の、あまりにもひどい乏しさと戦っていたから、無頓着な要求をしてしまうのだ。これは大きな反省点ですよ。
小林信彦「夢の砦」は、辞典のような厚みをものともせず一気に読めて、波乱万丈なのに、リアリティがあり、しかもそのリアリティは必ずしも爽快でなく、ほろ苦さより、もっと端的に痛い実感をもたらし、さらに後味は悪くない珍しい青春小説。テキストと作者は全く別物だが、(この日記的短文も、書いた瞬間から本当は書き手とは関係ないのですよ)自伝の要素を確信犯的に方法論として取り入れた内容ゆえ、怒りっぽくて、多少意地悪で、個人主義で、それでも人の良い、といった作者像を想像させる。この本も今は古書店でしか買えない。なんでもかんでも絶版にしてしまう出版社は断罪されなさい。
[PR]

by nogioh | 2006-07-22 02:23 | Comments(0)
2006年 07月 21日

JOURNAL

ベテラン選手相手のレッスン。あら捜しみたいな内容になりがちだが、その「あら」はなかなか自分では気付きにくいし、またそうした1音の扱いの弱点は、往々にしてフレーズ全体の器量を大きく変えてしまう。17日、サム・マイアーズが亡くなったらしい。4日前だ。南部の古いミュージシャンの香りを現代に伝える貴重なハーモニカプレイヤーの一人だった。フレーズのセンテンスを切るタイミングに独特な感覚を持つ人だった。デビュー録音にして超が付く名作「Sleepin' In The Ground」(まだ二十歳くらいだったはず!)や、エルモア・ジェイムスのセッションで有名だが、最晩年までとても精力的な印象だった。この訃報を悲しむブルースファンは多いと思う。冥福を祈りたい。
[PR]

by nogioh | 2006-07-21 05:05 | Comments(4)
2006年 07月 20日

JOURNAL

昭和天皇の、靖国のA級戦犯合祀への遺憾が新聞に大きく報じられた。そりゃそうだろうな、と思いつつ、彼の崩御が伝えられた日の記憶を追っていた。うるさい雨音が却って効果的に僕を過ぎた日に連れ戻すみたいだった。具体的に十七年半前の、冬のその日、僕が何をしていたかは忘れているが、町の気配のようなものははっきり覚えている。泡景気の只中で、狂躁的な気分と暗鬱なそれがせめぎ合うような空気だった。考えてみれば狂躁と暗鬱は同じなのだ。僕は裕福な若者ではなかったが、音楽において野心の権化だった。思春期の残り滓みたいな日々。結局あの時代に、僕の根っこがあるのだなあと実感。
[PR]

by nogioh | 2006-07-20 05:49 | Comments(0)
2006年 07月 16日

JOURNAL

神戸に遊びに行った。暑さが僕の体と心の限度を超えていたが、港町というのは、本当に踏み込めばすぐ判る、独特な空気があって面白い。夏は嫌いなのに海は好きなのだ。恒例行事のように帰りの道に迷うのは我ながら閉口するが知らない土地は時々無理してでもうろうろするべきだと実感。
[PR]

by nogioh | 2006-07-16 05:43 | Comments(5)
2006年 07月 15日

JOURNAL

心をこめてプレイする、などということを、今日のレッスンで口にした。胡散臭くて、もっと極端に云えばインチキ臭い言葉だ。心がこもっていたから、下手でも感動した、というのは嘘なのである。技術の高い演奏に人は感動する。なぜなら巧い演奏には自然と心がこもるからだ。この場合、心、という目に見えないし触れもしない曖昧至極な語が問題になる。僕のいう心とは、具体的に感受性のことだ。一つの音、一行の詞に奥行きと広がりを持たせる努力の結果のみが心のこもった演奏になるはずで、そのためには一つの音、一行の詞に奥行きと広がりを感じ取り、無数の言葉にならぬ言葉をイメージする力、つまり圧倒的な感受性が必要で、さらに、それを表現するために「科学的に証明できるはずの」技術が不可欠なのだ。慢心せず、安心せず、決して図太くならず、傷だらけで、尚、欲深く生きることが表現にはとても大切で、そうやって日々感受性を磨くことがどれほど難しいか、僕は今も身をもって、嘆きつつ知る過程にある者だ。日常に溢れかえっている様々な困難と種々の誘惑が、いかに人の感受性の幅を狭め、磨耗させ、遂には虚妄に憑かれ狂う「感性的白痴」へと導く「仕掛け」に満ちているか、僕は苦悩しつつ戦うものだ。Mくん、Oくん、僕のバンドのギタリスト三島さんのいつものオープニングMCを借りて、しめ括りたい。「張り切ってまいりましょう!」ね。
[PR]

by nogioh | 2006-07-15 03:14 | Comments(3)
2006年 07月 14日

JOURNAL

年少のギター弾きの青年が、初めて部屋を訪ねてくれた。真面目でどことなく鬱屈した様子は僕には好ましく、ビールを飲んで長い時間あれこれ話した。
 まったく話柄は逸れるが、教科書における「愛国心」の扱いで一部がもめている。「一部」にしか見えないのが先ず問題なのだが、それはおいておく。「推進派」には、そもそも曖昧な言葉で、如何様にも取れる愛国心を教科書に盛り込むことで、偏向した思想に子供を導こうとするいかがわしさが、印象として拭えない。僕は日本が良い国だなどと、生まれてから感じたことがない。レバノンで、絶えず紛争の危機に直面する親戚を持つアメリカ人青年に、日本は平和だ、と強い感情を表して云われたことがあるが(彼は日本のオウムのテロと、ベイルートの爆破テロによる被害者の数を根拠の一つに挙げたが、そこには首肯できなかった)、「ウリ」だった平和すらも今は覚束ない。京都についても同じで、良い町とは思わない。そう感じる自分が残念だ。それは日本や、京都に対する愛着の裏返しだろう。そして、これも愛国心なら、教えなくても子供はやがて自分で判断するだろう。国を司る一部の大人の思惑に反する何かを「云えなくする」教育は教育ではない。それは洗脳だ。
[PR]

by nogioh | 2006-07-14 05:06 | Comments(0)