大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2006年 10月 30日

JOURNAL

一番若い生徒氏のレッスン。コード進行のパターンを頭でイメージしながら、様々なレコードを聴くのは僕がこれまで半ば以上無意識にやってきた習慣の中でも特別な意味を持って現在に繋がっている。先ず、理論をすっ飛ばしてメロディ感覚が身につくのだが、ブルースという3コード、12小節の形式の中でのソロにも、メロディ感覚はリズムの次に大切なものだ。そんなことを考えながら喋り捲った。
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by nogioh | 2006-10-30 23:58 | Comments(0)
2006年 10月 29日

JOURNAL

昼、レッスン一人。今日の場合は年長の人だが、若い人であっても同様な事として、対話の充実があれば、そのレッスンは相互作用し合って良い結果が得られる。簡単に申せば僕もまた何かしらを学ぶという、貴重な経験をするのだ。個人レッスンの醍醐味か。ギターを担いで、僕としては随分恥ずかしい思いで臨む生徒氏のライブ2回目。お客さんは少なかったが、顔見知りの三柳さんのバンドの面々の上機嫌な声援に助けられて楽しく終えた。ブルースを演奏する喜び、みたいなものの片鱗でも、生徒氏は味わう事が出来ただろうか?対する三柳さんは、手練れのメンツに支えられ、リトル・ウォルターを伸び伸びやっていて楽しいステージだった。この人のハーモニカが若々しいのは、次はこれ、次はあんな音という探求心が伝わるからだろう。カラマズ-の古いアンプの夢のようなサウンド。セッションで一曲吹かせてもらって痺れた。明里さんによる、マックスウェルストリートの雰囲気やったわ、という我々への賛辞は、ひたすら恥ずかしいが、荒く未完成ながらともかくやり遂げた事への何よりの労いとして、喜んでおこう。ね、MG君よ。
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by nogioh | 2006-10-29 22:34 | Comments(1)
2006年 10月 27日

JOURNAL

枚方は、峠を一つ越えればすぐの場所だから、僕の住処を「ほぼ大阪」と思っている人は案外いる。「ほぼ奈良」も同様。どちらにせよ京都という認識をされにくい深南部で、僕自身京都に住んでいる実感はない。国道1号線の枚方に、とてもバブリーな造りの喫茶店があり、免許取りたてで、二日ぐらい寝なくても全然平気だったまさにバブル真っ盛りの頃、よく行った。近い場所で朝方まで開いていたのはその店と、牛丼屋だけだったからだ。その店が、営業は続けながら売りに出ていると、枚方在住の若い友人に聞いた。それで、という訳でもないが、先日久し振りに会った、こちらは同級生の友人とコーヒーを飲みに行った。「旅に出たいなあ、一人で、十五年くらい」と言うので、「それは旅と違て失踪やろ」と笑うと、友人は笑っておらず、全くの無表情でアイスコーヒーに差したストローをいじくっていた。僕はその男の細君の顔を思い浮かべながら、口を開きかけて、そのまま言おうとした質問を呑みこんだ。その「旅」について何をどう聞いても、もう友人は笑わないだろう。そう確信したからだった。
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by nogioh | 2006-10-27 00:14 | Comments(0)
2006年 10月 26日

JOURNAL

生徒氏のライブのリハ。車内篇である。いやあ、狭い。しかし、高校生みたいな気分にちょっとだけ戻れるような、微かな充足もある。どんどん意見を出して計画立てて、物事を前に進めて行くリーダー的役割は、クラブ活動を避けて生きた学生時代には一度もなく、青春を遥かに過ぎて、うんと若い子とチームを組んで仕事をするまで経験がなかった。バンドでも、こちらも白髪を増やし、無い知恵を絞ってはいるが、同じメンバーに無理難題を押し付け続けて十余年。しかし、思うように金にはならず、申し訳なさが付きまとってこちらには仕事の喜びはなかなか訪れない。
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by nogioh | 2006-10-26 22:20 | Comments(0)
2006年 10月 24日

JOURNAL

リハ。スタジオでただひとつまともだったアンプが壊れ、嫌いな新しいJCにやけくそでカラオケマイクを指して吹く。どうも気分も下降気味で体調もすぐれぬ日々だが、ブルースの曲を、これはブルースだと感じながら集中して演奏することで心身の浄化を図る。早めに町に出て、少しだけビールも飲んだのが効を奏したか、なかなか冴えたフレーズが飛び出す。ああいった旋律は、誓ってもいいが、二度と吹けぬ。
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by nogioh | 2006-10-24 22:12 | Comments(0)
2006年 10月 22日

JOURNAL

特殊枠の長いレッスン。実は一昨日より、禁煙を敢行。禁断症状なのか、猛烈な眠気と、喉のいがらっぽさに苦しみつつこなす。僕は医者の云う煙草の害について、今一つ信じていないし、つまりは、禁煙の健康面の効果も別に期待していない。ニコチンは、不安感と苛々を抑え、その働きの素晴らしさたるや目映いばかりだ。要するに僕は煙草が大好きなのであり、禁煙する人を可哀相だと思っている種類の人間だ。可哀相な人になろうとしたのは、煙草を可能な限り断つことで、恩に報い、少しは役に立てそうな人がいることと、愛煙家の居直りが鼻につく場面にこのところ何度か遭遇したことがきっかけだ。あとはブルースマンが煙草を吸わなくなりつつある世界的な風潮流行に乗っかる軽薄な意図もあった。
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by nogioh | 2006-10-22 11:42 | Comments(4)
2006年 10月 21日

JOURNAL

東寺の縁日に出かける。我々から見れば、露天商は流民であり、つまり、どこの土地のどの祭りに出かけても同じ顔ぶれが商売しているように見えてしまう人達で、それが訪れる側の気分を
解放するのか、と思う。境内を出ればうんざりする、見飽きた町並みであっても、束の間仕事など、一切の生活の呪縛から逃れる異境の錯覚を味わえる。まあ、世の娯楽と名の付くものは、全て定着せねば生きられない圧倒的多数の生活者に、この種の錯覚を与えるのが主眼なんですが。
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by nogioh | 2006-10-21 11:33 | Comments(0)
2006年 10月 20日

JOURNAL

スヌーキー・プライア-の訃報が届いた。最後の契約レーベルである、エレクトロファイのホームページに追悼文が出ているのを確認した。サミー・マイアーズに続いて本当に残念な出来事である。長いブランクを経て、アントンズから出した復帰作「Too Cool To Move」は、往年の超が付く有名な録音とはやはり、あらゆる意味で別物と言わざるを得ないものの、相当な傑作であり、僕などある一時期それしか聴かなかった。その後、96年にロウエル・フルソンと共に来日。大した宣伝もされなかったのが信じられないようなスーパーライブだった。銀パネの、ツインリバーブ系アンプに、マイクはブルースブラスターという、まあ、比較的よく見かける、一般的にハーモニカ奏者が安全牌として選びがちなセッティングで、あのバリバリ唸る特異な音色!歓声より先に、わあっ!などと驚嘆の叫びが洩れたものだった。ロウエル・フルソンが、明らかな年齢による衰えを感じさせるステージだったのに対して、スヌーキーは、当時75歳にして驚くほど健康そうな余裕しゃくしゃくの演奏っぷりだった。彼のヴィンテージ録音の幾つかはブルースハープの醍醐味を全て濃縮したような味わいで、ハーモニカ奏者の夢をこれからも掻きたて続けるだろう。
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by nogioh | 2006-10-20 15:30 | Comments(3)
2006年 10月 19日

JOURNAL

年齢にして僕の半分という、若すぎる生徒氏と、同世代の生徒氏二人レッスン。(年齢だけで人を対比させる悪癖を治せ)とにかく、耳を澄まして、集中して、自分の音をよく聴くことが基本で、原点だ。そして、古のオリジナルの巨人達の、息継ぎ一つ聞き漏らさない熱情。白人のテクニシャン達もそれを死に物狂いでやって、一握りの優秀なトップブルースマンは、今もその苦行を続けているだろう。彼らはいまだに進化している。シカゴにいるワビさんが、彼らのバイタリティを評して、「一回り以上も若い自分たちは弱音など吐いてられない」とかつて僕に語ったが、本当にそう思う。サクラメントで、ショウの幕間に、一度も椅子に座らず、忙しなくガムを噛み続けていたリック・エストリンの、クロマチックの闊達な音色を思い出す。
 色川武大のエッセイ集「いずれ我が身も」(中公文庫)。いまだに未読の新刊が出て、全集を揃えたりしない不熱心なファンには嬉しい事である。笑いながら、時に迫力に気圧されたり、一気に脱力したり、いつ読んでも面白くすぐに読み終えてしまう。寂しい事だ。
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by nogioh | 2006-10-19 03:45 | Comments(0)
2006年 10月 18日

JOURNAL

鬱屈して、考え事に溺れそうになったまま殆ど寝れなかったので、鬱屈も持ち越したまま過ごした。昼間、自販機で健康的な果物ジュースを買おうとしたら、熱いコーヒーが出てきた。何というミスをするのだ、ベンダーサービスマン。夏がまた来たような陽射しの中、不健康な汗をかきながら、甘ったるいホットコーヒーを呑んだ。不愉快な日には不愉快なことが重なる。
 マリンバンドデラックスのG,相当に調子が良い。幾らでも吹いていたくなる。すぐに壊れたりしないでね、と祈るばかり。
 ティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」(文春文庫)。これもだいぶ前の出版だ。村上春樹のポップな翻訳は、読み易すぎること以外は、とても良い。オブライエンのような作家が、村上の翻訳によって広く読まれるとしたらそれも素晴らしい。日本語にして5、60枚のものと、ごく短い切れっぱしみたいな短編が補完し合って(るかどうか微妙な感じも含めてはっきり作為的に)編み込まれていて、「戦争」が読者の心に散弾のように広がりながら食い込んで行く。短いのがどれも良くて、唸ってしまう。
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by nogioh | 2006-10-18 03:24 | Comments(0)