大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2017年 05月 25日

JOURNAL

明後日は南森町シカゴロックで、僕の名を冠したハーモニカ企画の第4弾です。アイパー大西、マッドハープ加藤という、ツワモノ二人とくんずほぐれつのブルース合戦です。マッケンくん、ピットブル久保さん、猿橋信さん、スイートハープ木村さん、小西進さん、木寺勝久くん、そして番外編的に東京の鈴木保っちゃん。いずれも素晴らしい技量のプレイヤーで、大事な仲間だと思っている人ばかりだ。この企画は、緊張感と気合の入り方が独特でいつも充足感があり、お客さんにもそれが伝わるのか好評をいただいてもいる。沢山の人に見て欲しいと願っております。基本ギター1本をバックに吹きまくる企画で、いつも名手、ヨシ水野くんにお願いしている。今回は諸事情でヨシ欠席のため、岡部キング。岡部君もヨシとまた違うタイプの名手で、面白いライブになること必至です。20:00より、乞うご期待!前の加藤毅君来阪ライブの告知の時に過激なことを書いたので今回は書きません。
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# by nogioh | 2017-05-25 23:14 | Comments(2)
2017年 04月 30日

JOURNAL

明後日に迫ってまいりました。関東の辣腕ブルース・ギタリスト、加藤つよし君が南森町シカゴロックにやってきます。
カトウズの名の通り、マッドハープ加藤氏とつよし君のデュオがそもそもの原型です。今回はTAKAGIMAN、南部君も参戦。なぜか最近よくやっているベースレスのバンド編成です。つよし君とは昨年初夏に、湘南台の中華三番でカトウズ&大野木一彦でライブして以来約1年ぶり。めちゃくちゃ楽しくて、客席も盛り上がりました。その前はもっともっと間が空いていて「今度は5年も6年も先ではなく近々にやりたいね」と話していました。念願かなって1年で再会できて嬉しい限り。
彼のダウンホームでタフなシカゴ・スタイルは天下一品です。僕は最初ゲスト出演予定でしたが、どっぷり一緒に「ガッコガッコ沼」に漬かることになりました。とても張り切っております。
種々様々な力学的不平等こそが美徳、みたいな音楽の世界。生え抜き?派閥?横のつながり?人身御供を血眼になって探す老人の執念、「次期有望株」による恥知らずな追従。そしてどのように聴いてもどこにも結実していない眠たくてくだらない音楽。実に、実に吐き気がします。誰かを指す文章ではありません。誰も念頭にはおりません。いわばそれは気配のようなものです。長い事やっていると否応なく嗅いでしまう臭気みたいなものです。明後日は、そうした木っ端ども、Kiss my ass!的なライブをしますよ。 皆さん、連休の夜をぜひ一緒に過ごしましょう。


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# by nogioh | 2017-04-30 23:54 | Comments(0)
2017年 04月 24日

JOURNAL

島尾敏雄を読み返している。ある歌手の女性と以前文学の話をした時にこの人の名前を出した。懐かしいなあと言っておられた。魚雷艇学生、ロング・ロング・ア・ゴー、出発は遂に訪れず、死の棘、贋学生…。僕が敬愛する小川国夫とも交流の深かった作家で、一時期夢中になって読んだ。島尾の「島の果て」と夫人でもある島尾ミホの「海辺の生と死」などを基にして映画が作られる、というニュースを見て、ああ、と思って本棚から出して、ここしばらく持ち歩いている。岡崎京子と同じパターンだ。何かを表すためには細密な描写と夢のような異化、どちらが欠けても駄目なのだ、とこの作家を読むと改めて感じる。音楽でも同じことで、ブルース・ハーモニカの本質を掴むには延々とコピーを繰り返すしかないし、同時に自身のアイデンティティをそこに注ぎ込んで、それらを異化して観客に見せないといけない。コンプリートなどない世界であり、金を取っても良いレベルかしら、と自他ともに認める程度に習熟してからも、やれないことはいつまでも出てくる。時代も国籍も、肌の色も違うからどうしようもないが、その先に行かないと新しいものなど絶対に作れない。それで嫌になってやめてしまう人が多いのだろう。嫌になってやめる人は、分かっている、のであって、やる人が減るのは残念だが、もっと楽しまないと、などとほざいてだらだら雑音を垂れ流している輩よりはよほど高尚だ。
自分流に、とか新しいものを作る、とか簡単に言うミュージシャンに碌な奴はいないが、まあそんな連中は非常に多い。あほばっかりだなと思います。ああブルースって最高、とか毎日のようにうっとりしながら誰かに向けて喋ったり書いたりするスノッブども。大変な一つ一つの手順を全部省いて進化、と口にするやつも同レベル。そういうミュージシャンの作るものはブルースでもソウルでもない。もどきですらない。音楽ではないのです。何故ならもどきを具現するのすら凄く大変なものだからだ。したがってそういう連中はミュージシャンではないという事になる。ライトノベルがどれだけうまく書かれていても決して文学にはならないのと同じだ。どんな酷評を受けようと、手間暇かけて、楽をせず、せめて文学の土俵には立たないと残って行かない。いや、残るかもしれないな。でも残って行く価値はないと断じたい。音楽も、観客も奏者も同じくらい楽しむ、という状況は、せめてミュージシャン側の礼儀としての粉骨砕身、それ抜きでは実現しないのではないんでしょうかねえ。

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# by nogioh | 2017-04-24 23:58 | Comments(0)