2005年 10月 10日

JOURNAL

現代詩読本・田村隆一(思潮社)。「どんな人生にも頭韻と脚韻がある」生老病死の戦後的(?)表現。→ラングストン・ヒューズの有名な一節。これはごく単純過ぎる読みに違いないだろうが、元気が出る。この本では吉本隆明の評論の中に抜粋のみの登場だが「雨の日の外科医のブルース」の、ブルースという言葉の使い方はしっくりくる。十二小節スリーコードの「形式」への理解を感じる。たいした読書家でもないのでアレだが、日本の文学には珍しい感覚だと思う。僕が好きで読んだ人で他にというと寺山修司くらいか。
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# by nogioh | 2005-10-10 00:00 | Comments(0)
2005年 10月 08日

JOURNAL

森内俊雄「骨の火」(講談社文芸文庫)。異様な緊迫感。宗教的挫折と官能と転落の生についての微細な描写の長い蓄積。時々びっくりするほど下世話な言いまわしが出てくる。発表からの二十年の時間のせいではなく計算なのだろう。重たいのにひたすらにサスペンス。高い物語性と文学性の圧倒的昇華。一時はまりにはまった色川武大の「狂人日記」や、「罪と罰」に連なる感銘でした。主軸になる火をめぐる聖書のイメージはメルヴィルも思い出した。僕はキリスト者では全然ないが、耽溺といっていいくらい小川国夫にのめりこんだこともあり、やはり関心があるのだろうなあ。
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# by nogioh | 2005-10-08 00:00 | Comments(0)
2005年 10月 06日

JOURNAL

何か書けと管理人に言われ、何か書くこととする。日記の体裁はとるが、必ずしも時間に添った内容ではなく、はなはだ恣意的な記述となろう。音楽や本や映画の事以外はなるべく書かずにおきたい。今夜はチャーリー藤井さんとRAGでライブ。彼の音楽と人柄を慕う、若いミュージシャンが企画、実現した。満員御礼で熱気溢れるいい夜だった。小林久人さんと実に懐かしい再会。髭を生やす前の姿として僕を覚えていたという。艶のあるいい声を久しぶりに堪能。ステージで小林さんは僕を、ノギオちゃんと紹介。ああ、と思う。古い知己に不意にそう呼ばれると、数年前まではどこかに連れ戻される気がした。今はどこにも連れ戻されない。つかの間脳が宙ぶらりんになる。藤井さんはお疲れだったと思うが、とても元気そうで隣りにいて嬉しかった。共演のミュージシャンはみんな巧い。技量は「感性」を包摂する。
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# by nogioh | 2005-10-06 00:00 | Comments(0)