大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2018年 05月 12日

JOURNAL

大江健三郎、古井由吉の対談集「文学の淵を渡る」(新潮文庫)。最近は文学談義など誰ともとんとしなくなった。元々議論が嫌い。断言するやつも嫌い。でも時々は文学の話をする相手がかつては何人かいたのだ。その人たちは勿論存命で、会おうと思えば会える(はず)。ただ、妙に忙しく暮らしているせいで、空いた時間があっても疲弊していて、なかなか人に会いに行けない。
大江健三郎は79年の「同時代ゲーム」から、「燃え上がる緑の木」三部作くらいまで、90年代半ばかな?が最も好きで、それこそ夢中で読んでいた。この辺りも、当時なかなか判ってもらえる人が周りにいなくて、色々歯がゆい思いもした。大江は圧倒的に初期が良い、という人が多かった。僕は逆に初期の作品群は関心がなかった。文体との格闘を続けて、変化し続けた作家なので、80年代以降の語り口が僕にぴったり来る、ということなのだろう。「河馬に噛まれる」などすぐ読み返したいくらい懐かしい。「僕が本当に若かった頃」という短編集の「茱萸の樹の教え・序」も鳥肌が立つほどの読書経験だった。古井氏は昔から名を知っていたが、ちゃんと読んでいなくて、98年に「夜明けの家」を何となく手に取って読み、大変な人がいる、と衝撃を受けた。慌てて過去のものにも遡り、以後ずっと気にしている。老眼になって本を読む行為から離れがちだが、そんなこと言っていては駄目だ、と、この対談を読んで思った。


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# by nogioh | 2018-05-12 23:58 | Comments(0)
2018年 05月 09日

JORNAL

夜、大きなスーパーに立ち寄り、別に何のスポーツもしないのにスポーツ用品店をうろつき、そのあと一つ下のフロアの本屋に行ったら吾妻ひでおの「失踪日記2」が平積みされていて、その場で手に取りレジに並んだ。待っていた続編。あの世界にもう一度浸れるのはうれしい。ちなみにスポーツ用品店もホームセンターも、急に迫られた必要があって訪れることはまずない。ただ好きで時々行く。作業着屋も大好き。会社の名前の入った作業服など、時々無性に着てみたくなる。会社名などなんでもよろしい。適当な会社をでっちあげて作業ジャンパーを作ろうかとたまに夢想することがある。
 母親が、物をなくすことを「失える」、と言っていたことを思い出した。面白い言葉だ。先日電車で見知らぬおばさんたちの会話を聞くともなく聞いていて、その言葉が出て来て、ああ、おかんも、と記憶がよみがえった。「ハンコ、ウチすぐ失えんねん」関西のやや年配の人は普通に今でもそんな風に使う。僕はまず使わない。村上春樹がよく「あの人は失われてしまった」という表現をよく使うのは、この作家が関西出身だからか、とちょっと思ったりした。
 深夜に、それも寝る直前に遠い異国に住む友人からSNSにメッセージが届き、そこにはメッセージと一緒にマーティ・ドットソンの動画のURLが貼られていた。キム・ウィルソンとのライブ動画だが、ドラム席の後ろからという珍しい撮り方のもので、これがすさまじく格好良かった。Yさん、ありがとございます。マーティは僕と同年。もう10年以上前、サンフランシスコで彼を見た時、なんて上手いドラムだろうと思った。それはマーク・ハメルのライブで、僕は2ステージ目でシットインさせてもらい、マークが歌うBlow Wind Blowの後ろで彼のセッティングを借りてハーモニカを吹いたのだった。ラスキン、とマークが言っていた小ぶりなバレット・マイクとベースマンのレプリカ・アンプ。僕の背後ではバンド全員の音をつぶさに聞いて煽ったりフレーズにピタリと添わせたり、抑揚がドラマチックなマーティのドラムが鳴っていた。懐かしい。色々考えて眠れなくなってしまったが、近ごろにない種類の気分の高揚があった。

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# by nogioh | 2018-05-09 23:29 | Comments(0)
2018年 04月 23日

JOURNAL

ホームシック・ジェームス「Blues on the southside」、ジャクソン・ブラウン「Pretender」、Hound Dog Taylor「GENUINE HOUSEROCKING MUSIC」、Little Walter「THE BLUES WORLD OF LITTLE WALTER 」。最近車ではこの四つを交互に聴いている。去年車を買い替えた時、前の車に積みっぱなしだった大量のCDを全部持ち帰って、まだ新しい方(の中古車)への積込みが完了していないからだ。リロイ・フォスター、サニー・ボーイ一世の歌い方が昔から好きで、今も好きだ。ウィリー・ニックスのヴォーカルも格好良い。ずっと憧れているが、ハーモニカはすぐにコピーして真似しようとするくせに、歌は何故かやらない。特にブルースのヴォーカルに関しては、歌詞を覚える努力は(たまに)するが、歌そのもののコピーは殆ど試みたことすらない。なぜか。
 岡崎京子の短編「チワワちゃん」が映画化される(された)らしい。点けっぱなしだったある日のテレビでたまたま情熱大陸が流れていて、その日の主役は門脇麦で、この女優さんが主演すると言っていた。ヘルター・スケルター、PINK、リバース・エッジなどより、僕にはこのチワワちゃんが一番衝撃的だった。青春劇なので、読んだ時もう30くらいだった僕にはちょっと鬱陶しい場面・台詞もあった。でも、その鬱陶しさも含めて、若いとはそういうもので、そういう、みんなそうだったに違いない、普遍的な鬱陶しさを持った若い人達が決定的に抱えてしまった虚無(と言うしかないような暗くて重いもの)をここまでクールに見据えることが出来る才能って凄いと思った。この作品が描かれた時代(94年)の匂いを色濃く纏っているのに、中心部に息づくものは時空を超えてエバーグリーン、というのはまさに芸術の格好良さ。これを脚本化しよう、とすぐに思ったが、そういうのは思うだけでなかなか実行できないものだ。本気でしようと思っていないのだろう。今に至るまでそれは手つかずで、僕の全然知らない若い才能ある監督がちゃんと映画にして今世に問われようとしている。もう問われているのでしょうか?脚本にはできなかったがサブタイトルにチワワのテーマと付けた歌を作って、当時友人とMTRで録音したのだった。カセットテープがどこかに残っている筈だ。聴きたいとは思わないが、そういう衝動が呼びさまされるほどの強い漫画だと思うのです。チワワちゃんのことはこの日記の過去にも一度書いたな、と今思い出した。






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# by nogioh | 2018-04-23 01:47 | Comments(0)