夜レッスン。その人、遠方より来る。結構なブランクが空いたので、基礎からやり直している。アドリブで吹いたらなかなか上手いのに、基本3ポジションのウォーキンベースなどの基礎は苦しげ、というのも面白い。3つ4つ年下だが、昔の話をするとああ、同世代と言っても差し支えなしと実感する。純朴な(どうかしましたか?)十代のころの話で盛り上がる。勢いづいてワムの曲をギターで弾いたり口ずさんだりする。どうせならハーモニカを入れてもらえば良かった。レッスン中に昔のヒット曲を「ただ歌うだけ」って、何だ?
スプーナー・オールダム「ポット・ラック & スペア・チェンジ 」を聴く。マッスルショールズサウンズのキーマンの一人であった鍵盤奏者のソロ2枚が紙ジャケ仕様CDでよみがえった。なんと豊かなサウンド、頼りないふにゃっとしたヴォーカルも段々効いてくる。これぞ歌だと感じ入る時間。
今日の生徒さんが「英語をもっと話したい」と呟いたことをきっかけに、考えたこと。
カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」は、ここ数年で最高の読書経験の一つに数えられるが、先ずは翻訳の凄さに感動するという、母国語でない文学を鑑賞する際の、もどかしい皮膜をどうしてもぬぐい去れない。最近これを読んだ若い友人も「びっくりした!」と賞賛しながらも同じ不満(と言って良いでしょうね)を口にしていた。一流の訳者は作者のナラティフ(文体)も当然知悉して言葉を置き換えているはずで、そういう訳者の存在は眩しいし、有り難い。しかし素晴らしい翻訳に出会うと一層原語で文体を味わいたい、という思いが募る。この「わたしを・・・」は途中までは結構原書も読み込み(忙しくなったりで、結局試合放棄したままだが)、うっすらと語り方の魅力も判った・・・気がしたが、「気がした」と言わなくて良いようにしたい。イギリス在住のピアニスト/ハーピストの
Yukiさんのブログに、原語で読んだポール・オースターについて書かれてあるのを読んで、良いなあと思った。彼女のようなバイリンガルには及ばずとも、少しでも近づく足掻きをまた始めようと思う。