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大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2011年 01月 19日

JOURNAL

 ライブ間近な人、レッスン。普段生徒氏のライブはあまり見に行けないが、そのライブには縁の深い人がメンバーとして名を連ねているので観たい。次の日の事情にもよるところがあるが、検討している。細かい苦手な部分を、立ち止まって徹底的にチマチマと出来るまでやる。しんどそうだが楽しそうな反応だったのでガンガンやる。それをしないと一生傷になるのです、という話もする。

 僕のハーモニカにも一生傷がある。1人で判らないことだらけの中、来る日も来る日もコピーばっかりしていてうっかり看過してしまった部分があるのだ。ずっと後で直したが十全な修正とは言い難い。ブルースが好きで、ブルースという音楽にはハーモニカが不可欠だという思い込みだけでやって来た、僕はあくまでもプレイヤーである。生活とブルースハーモニカの裾野拡大(加藤さんの言う布教活動?)の為に教室などもやるのだが、まあプレイヤーとしての自分にまともに跳ね返ってくることが多くて勉強になるし、せっかくなら、今まで誰も触れなかったことを(他の教室のことは近い人達以外には知らないし、意識もしないから「偶然」ということになるが)僕の言葉で伝えたいと思っている。色んな教室に行く中で僕の所にも来た方が「これは誰も教えてくれなかった」と言って下さるととても嬉しい。

 レゲエやファンクをやるバンドにもいたし、ソウルやジャズを歌う人のバックでホーンに混じって吹いたり、ハードロックのバンドでサンタナを吹いたりもして、それぞれ楽しかったが、ハーモニカをやる限りは、いつも他ジャンルの人達に「これが僕の思うブルースなんです。どうでしょう?」と問いかけるつもりで臨んで来た。好きな言葉で言うところの異種格闘技ですね。タックルの仕方、ローキックを入れるタイミング、ガードポジションから肩を固める、腕を取る、若しくはマウントに移行する、その流れ、まあそれだけが僕のオリジナリティだと言える。若いうちは、さんざんだった。理解も腕もなくプライドだけ高いPAマン(バイト)と衝突し、理解もなく腕もない「(ハーモニカ以外の楽器の)自称プロブルースマン(すねかじりのぷー太郎)」(今頭にあるのは一人なのだが、あえてぼかしておきます。今もどこかで元気にやってるらしいし、もう何十年も会ってない。会っても話すことは何もない、そういうタイプの人だった)に見下され、「コピーよりカバーより日本語オリジナル。それに限る」と言う日本語の不自由な歯抜けジャンキーに絡まれ(このおっさん、何度目の登場だろう。会った時は話し合う環境でもなく、通りすがりに絡まれた形で、以降一度も会ってないが、もし生きているなら決着を付けたいものだ。「オリジナルってなんでしょう?」と先ず聞いてみたい。当時すでに相当なラリパッパだったので今は会話が成り立つかどうか、もし抗弁してくるなら徹底的に話してみたい)、矛盾だらけのブルース原理主義者の言説にうんざりし・・・、
それでも懲りずに続けてきた偏屈な演奏家としてのレッスン。それをこれからも続けます。

 ブルース原理主義者。これは問題です。議論が嫌いな僕としては関わりたくない典型的な人種だ。上に出てきた人は基本的には相当な好人物で、今は絶交みたいになっているが僕は今も友達だと思っているのだが、彼らはブルースを音楽ジャンル、形式として決して認めようとしないのだ。それが困る。文化とか思想、もっと言えば恐竜の化石とか死海文書のようにしかブルースは「語ってはいけない」などととんでもないことを言う。気持ちは分からなくはない。しかしブルースを自由に楽しんではいけない、迂闊に語ってはいけない、簡単にブルースマンを名乗ってはいけないという姿勢が、畢竟ブルースの衰亡に拍車をかけ続けて今日に至っているのだ。心中する度胸もない癖に、と思う。
 黒人オリジネイターの音源を1)沢山聴きまくって2)曲やミュージシャンの背景を理解し、好きになって3)愛着と畏怖と憧憬を持ってその音をコピーしましょう。その3つがブルースハーモニカの上達には不可欠です、と僕の元にレッスンに来る人には言う。言葉をちょっとでも端折ると伝わりにくいし、僕はちょいちょい端折るからどこまで伝わっているか、あれですが、この3つの手順論?はまあ一般的でしょう。さらには自分が習ってる先生でも良いし、今西海岸や、イギリスでぶいぶい言わせている白人プレイヤーの上手な演奏なんかも一杯聴いてコピーしましょう、と僕は言う。名手と呼ばれる白人の多く、または一握りの日本のブルースプロパーの演奏は、オリジネイターの作品を「形」として丁寧に解析し、整理し、敷衍してくれているからとても有効なのだ。そうして身に付けた知識と技術で表現するあなたの音楽は「ブルース」です、とも僕は言う。ファンダメンタリストはそこに引っ掛かってくる。ついさっき白人や日本人の「演奏」と僕は書いたが、「ブルース」と書いていたら、まずそこに噛み付いてくるだろう。その排他的な感覚、自虐を装った優越主義は、結局はブルースを平板化してしまう。骨抜きにして、歴史の教科書の記述みたいに味気ない「屍」にしてしまう。「ロックは死んだ」に似ている。それも気持ちは判るし、70年代に青春時代を過ごした人がサマソニに行って「これこれ!」と快哉を挙げるとは思えない。でも、僕は「日本にロックなんてまだない」と言い切った忌野清志郎の言葉をこそ支持したい。ブルースプレイヤーはブルースをやり続けることで守って、育てて、伝えていかなければならない。敬虔でありつつ、視野を広く、アンテナの感度を上げて、「現代に機能」させないといけないのです。難しいけど、意義はあります。ついでに言うと「音楽にジャンルなんてない、想像してごらん」などとジョン・レノンみたいなことを平気で言うやつ(ジョンはこんな事言わない)も多くて参るが、ジャンルは存在しますよ。右翼と左翼、極端な人同士はいっそ仲が良かったり、それに似たことは音楽にもあるがジャンルは在る。

長い。誰が読むのだろう。しかも今日のレッスンの人にはほぼ何の関係もないことばかりだ。ライブ頑張ってね、盛況、成功を祈ります。

by nogioh | 2011-01-19 23:32


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