友人と会う。久しぶりだし、今後一緒にやるかもしれない仕事のことなど色々話し合うつもりで楽しみにしていたが、部屋に入って、コーヒーを入れて貰ったら、あとは深夜まで殆どテレビに釘付けだった。
錯綜する情報、メディア側と学者の見解の明らかな食い違い、繰り返し流される本震、津波の映像(被災地では多くの人がテレビを見られないわけで、だとすれば扇情的で、無神経な演出だ)、飛び交うデマばっかりのチェーンメール・・・。
深い悲哀の感情がある。憤怒にも似ている。為政者にも電力会社にも、メディアにも腹は立つが、彼らは頼りにならないだけで、そういう意味では僕と同じなのだ。放っても放っても結局自分に向けて戻ってくるの悲哀と憤怒。これを無力感というのだろう。