今年のテーマはハンドビブラート、という方のレッスン。色んな人の曲をやっているが手だけがどうにも苦手なままなのである。昔、自分はどうだったかと振り返ると、ワンワンというあの音を手を使って出していることすら判らなかった。「わ」であったりホートンみたいに「ま」と聞こえる吹き手もいて、何のこっちゃ判らず混乱は深まるばかりで悶々と過ごす日々がかなり長く続いた。色々判って来てからも、吹き始めの頃に苦労したテクニックは相変わらず難しい。ハンド、スロート共にビブラートにはどこまでも工夫の余地がある気がしてきりがない。
ル・クレジオ「さまよえる星」、「プロレス暗夜行路」の2冊をパラパラ再読。クレジオは硬質な詩情を充満させた圧倒的な「物語」。翻訳で読んでこれだけの衝撃を感じるというのはすごいことです。「近代文学は終わった」と、かつて80年代に絶大な影響力を持っていたある学者は言った。でも僕は必要とする人間がいる限り担う役割はあるわけで、ならば生き延びると思いたい。話は音楽に戻るが、古いシカゴブルースを「失われた芸術」と表現したアメリカのミュージシャンもいる。一線でバリバリの活躍を続けるハーピストだ。彼はこうも言っている。「だからこそ我々が守らなければならない」守る、とはこの場合蘇らせ、再び機能させることだ。世界はまだこのサウンドを、表層はどうあれ潜在的には必要としている、という信念、希求。継続して何かを追究し続けることはやはり信仰に近づく。
今日読んだ本、後者はいわゆる暴露本の類だが、まあ硬派な方である。文学、ブルースと同じように、プロレスもまた、現在まさに失われつつあるものだ。時代と並走し、時代を追い越す求心力を獲得したこともかつてはあったのに。