土曜日、寒い朝だった。結構ゆっくり寝たが疲れは取れない。ばたばたと用を済ませ、夕方からレッスン。仕事で部署換えがあったり、大変な様子で、軽く鬱っぽい状態にあるらしい。レッスンは楽しく過ごして貰いたいと思う。しょーもない事だが何度か大笑いもしたし、何とか元気になって貰えていたら本望だ。それぞれ固有の苦悩に判ったような顔は出来ないが、僕もしんどい事は多いのでシンパシーのようなものはある。うっかり笑い損ねて、仏頂面のまま日が暮れることはしょっちゅうある。一日誰とも口を利かない、ということは僕の場合生活の成り立ちからしてないのだが、誰と何を話したか眠る前には何も覚えていない事もよくある。何も話していないのと同じだと思うし、そういう時は顎関節症が出て口がうまく開けなくなったりもする。ずっと歯を食いしばった後のような感じになるのだ。ザ・バンドの2枚目のアルバム(本当に素晴らしい名盤)のメイキングDVDを、最近ザ・バンドだけが日々の癒しとまで言い切る生徒さんに貸す。貸す前にちょっと観たが、ラスト・ワルツの時から倍以上は太ったであろうリック・ダンコがギターで弾き語る「Unfaithful Servant」にやはりジーンとする。
99年の冬、リックが亡くなったと聞いた夜、僕は本当に寂しくて女友達に電話をした。その人も訃報を知っていてザ・バンドのLPを部屋に並べていた所だ、と言った。今から一枚ずつ聴いて行くの。僕もそうしたかったが、生憎LPを聴けない環境になっていたのでリックの最後のスタジオアルバム「Times Like These」を何度も繰り返し聴いた。その後、リックの77年の最初のソロ作に入っている「Sip The Wine」というバラードを完コピしてレコーディングしようという話になり、誰に聴かせるつもりもない追悼として友人とMTRで録ることになった。歌とバックコーラス、ギターは僕が受け持った。電話で話したと上に書いた女性がピアノを弾き、プロデューサー役はMTRの持ち主である友人だった。彼はベースを弾き、ホーンの音を作り、ドラムの打ち込みのプログラムもやってくれた。彼の自宅、女友達の自宅、スタジオと結構まめに動いて丁寧に音を重ねていった。ダグ・サムとマイケル・デ・ テンプルのツインギターは僕などには到底荷が重すぎたが、必死でコピーした。後にも先にもあれだけ熱中してギターを弾いたことはない。僕はもう32歳だったわけだが、まだ寝食を忘れてこれほどのめり込める事が残っていたのだ、とちょっと驚いたのを覚えている。関係ないが、その翌年、重信房子が逮捕された。まさしく20世紀の終わりに、時間の重みというか、世の無常のようなものを感じた出来事としてそれも印象に残っている。