大江健三郎、古井由吉の対談集「文学の淵を渡る」(新潮文庫)。最近は文学談義など誰ともとんとしなくなった。元々議論が嫌い。断言するやつも嫌い。でも時々は文学の話をする相手がかつては何人かいたのだ。その人たちは勿論存命で、会おうと思えば会える(はず)。ただ、妙に忙しく暮らしているせいで、空いた時間があっても疲弊していて、なかなか人に会いに行けない。
大江健三郎は79年の「同時代ゲーム」から、「燃え上がる緑の木」三部作くらいまで、90年代半ばかな?が最も好きで、それこそ夢中で読んでいた。この辺りも、当時なかなか判ってもらえる人が周りにいなくて、色々歯がゆい思いもした。大江は圧倒的に初期が良い、という人が多かった。僕は逆に初期の作品群は関心がなかった。文体との格闘を続けて、変化し続けた作家なので、80年代以降の語り口が僕にぴったり来る、ということなのだろう。「河馬に噛まれる」などすぐ読み返したいくらい懐かしい。「僕が本当に若かった頃」という短編集の「茱萸の樹の教え・序」も鳥肌が立つほどの読書経験だった。古井氏は昔から名を知っていたが、ちゃんと読んでいなくて、98年に「夜明けの家」を何となく手に取って読み、大変な人がいる、と衝撃を受けた。慌てて過去のものにも遡り、以後ずっと気にしている。老眼になって本を読む行為から離れがちだが、そんなこと言っていては駄目だ、と、この対談を読んで思った。