20年以上前、朝日新聞で連載していた「悲しみの港」が小川国夫との出会いだった。身辺あわただしく、色んな物事が変化しつつある時期で、こういうものをその時の自分が欲していたということだと思う。いわゆる内向の世代、と呼ばれるグループの一人として名前は知っていた。つげ義春の漫画に、一度、名前が出ていて、コマの一つに小川の初期作「アポロンの島」の単行本の絵が描かれていて、読んでみたい、と思っていたがそれでも手に取ることはなかった。ネットも普及しておらず(もう使っている人は大勢いたが、僕はそういうものに関心がなく、携帯すら持っていなかった)通販の本屋もまだない時代。普通の書店になかなか小川国夫は置いていなかったという事情もある。「悲しみの港」はすぐに作品世界に入り込んで抜け出ることが出来なくなった。翌日の新聞が待ち遠しかった。新聞小説に心躍るなどそれまでなかった経験だ。連載が終わり、本になったものを買って改めて通読した。この人の小説は、ページを開いた時の字の並び、隙間など、ビジュアルがまず僕を惹きつけるのだと気づいた。当時新しいものが手に入りやすかったから、次は「跳躍台」を読んだ。こちらは短編集。これ以上ないほど彫琢された文章と、フランス、ギリシャ、そして大井川流域を結びつける作者の目の力、そして相変わらず本を開いた時の見た目の格好良さ。図書館で借り、古本屋をめぐり、その後しばらくは本当に夢中で読み続けた。
つい最近、川上美映子が数回にわたって村上春樹に行ったインタビューをまとめた「みみずくは黄昏に飛び立つ」を読み、村上が文章の「見た目」に言及している箇所を見つけた。見た目はやはり大事なのだ、と僕がかつて小川国夫の文学に対して感じた直感のようなものを補強してもらった気がした。川上がとても素晴らしいインタビュアーであることがこの本を読めばしみじみ分かる。対談集と言ってよいほどの濃度の高い対話が延々と続いて、非常に面白い本です。