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大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2006年 10月 12日

JOURNAL

過去、多少の手ほどきをした人の中には、どんどんライブをこなしている人もいるが、現時点で僕のもとでハーモニカを習う人は初心者が多く、まだこんなこと言うのは時期尚早な気もあるが、僕個人の、外的、または内的な雑音に抗する必要から、試みに書いておく。黒人の作り上げた大いなる芸術遺産であるブルースは、それに魅入られた我々がその模倣を試みる最初の時から、「ブルースという形式を持ったジャンル」になる。白人の中の一握りの優れた音楽家は、新しい演じ手に、とてもいい手本となる奥深い「ジャンルとしての」ブルースを録音していて、それらもきっちり味わう事を否定しない事が大切です。ブルースを方法論の視点から理解する有効な手段だし、オリジネ-ターの凄味も深さもよく判る。ジャンルとしてのブルースの否定は、表現者たらんとする非黒人の自己否定を引き起こし、「上達する必要なんてないもん」という思考に繋がる。「黒人でないなら、巧くなる必要もない論者」が、7thの音一つ理解せぬまま時にライブを、金をとってやりたがったりする。そんな居直りは、客に対する冒涜以外の何ものでもない。初心者の人も、いつか、こういう事を考えるかも知れないと思って、過去さんざんこういう事で悩んだ筆者なりの見解を述べた。オリジナルのブルースマンの模倣を経て、なおかつ、演じ手の個性なるのものを打ちたてるのは至難で、単なる形式としての模倣に加えてもう一つ(か、いくつか)の持ち札は必要だと思う。それが例えば、ある人には技術であったり、またはアメリカ国民であることだったり、もしくは日本語であったりする人もいるだろう。これはモチベーション、という内的必然性に関わることのみを指すのではなくて、演じ手の内側から出て、外に、つまり観客に向かう「音」としての訴求力も包括する「持ち札」の話です。

by nogioh | 2006-10-12 03:52


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