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大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2007年 03月 25日

JOURNAL

今日の生徒さん結集ライヴ、僕は、あとは観戦(?)するだけと思っていたが、あれこれ用事は残っていて、朝、忙しなく動いていたら、ぐらりときた。眩暈だと思ったが蛍光灯のスイッチ紐が揺れていて地震だと判った。日頃鈍臭い局も含めて各テレビ局が一斉即座に反応するほどの規模の大きな地震が、北陸を襲っていたのだ。阪神淡路大震災の時、僕は机の上の本の山が崩れた程度だったが、それでも根源的な地震への恐怖が植え付けられた。もう大人の年齢だったが、魂に影が出来る体験というのは辛いものだ。子供の場合さらに痛ましい。戦争は愚昧な小数の手による明白な人災だが、地震は違う。明らかな責任者が不在だから、怒りの燻り方が心身に堪える。だが、天災と書く時の、「天」とは何か、それは人ではない「誰か」を指すのか。その誰か、に人の怒りは届くのか、相手に届く事を信じて怒る、などということが可能なのか。根本的に信じることと怒りは、反する二律ではないのか。だがもし可能だとして、その信じて怒るという行為をどう名付けよう。それがもしかして「祈り」なのか。考え出すと、阪神淡路の地震の数年後、東京駅八重洲口で、募金を求めてきたNPOの女の子との対話の記憶や、当時読んでいたエリアーデや聖書、さらに時が経って、村上春樹が、「神の子はみな踊る」の連作において行った「鎮魂としての文学の試み」にまで思いが飛び、あっという間に時間が経ってしまう。と云う事で、ライブの記述とは分けて記したいので、同じ日付けでもう一つ書く。

by nogioh | 2007-03-25 21:18


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