ライブが近い人、レッスン。よって、セットリストを教えてもらいながら、チェックする時間になった。とんでもない強敵の曲を挙げていて、文章の添削になぞらえると、真っ赤っ赤、と云えるくらい沢山修正した。さらに僕の能力では感知できない陥穽もあったりするんだろう。それは仕方がないことだ。誰も教えてくれなくて何年も間違った理解のまま過ごした過去の僕よりはましではないだろうか。別に精度の高いコピーを披露する義務もないし、そういった模倣をあえて避けて達成できる成功というのもあるだろう。コピーは発表が目的ではなく、曲を深く理解し、そこで演奏される楽器の技術をつぶさに聞き分けるためのもの。それはとても有効だと思っている。理解できる曲のストックが増え、記憶の抽斗に、聞き分けられる技術が集積してゆくのは良い事だと思う。ブルースとは何?的議論よりもずっと大切だと信じている。ブルース、は単純に憂鬱を指す言葉ではないし、一面的に音楽のジャンル、と断じ得るものでもないし、その他一義的なあらゆる解釈を拒む。はず。晴れ晴れと、または後ろめたく、であっても良いのだが、ブルースをブルースとして、「ブルースロック」でも「ロックンロール」でもないものとして、とにかく演奏するためには技術的にも精神的にも単純な理解を避け、腕を磨くしかないのだ。