渡さねばならない物があって、夜、取りに来た友人と近所のファミリーレストランに行く。そこにもう一人、共通の友人が加わった。ひとつ置いて隣りのテーブルには小学校からの幼馴染の女性が同じようにコーヒーを飲んで談笑していた。地元だ、と実感した。一時離れてはいたが、長いことへばりつくように地元で生活している。それのもたらす安堵と、息苦しさ。年を経る毎にどちらも薄れて、ただ索漠として底の深い倦怠に変わる気がする。今日偶然会って挨拶をした女性は、過日某ライブハウスで僕のハーモニカの教え子と淡い接触があったと、その教え子から聞かされている。楽しい気分で帰宅したが、風呂上り、まじまじと己が白髪を眺めた。色川武大「ぼうふら漂流記」(新潮文庫)をぱらぱらと再読。後半一気に盛り上がるこの迫力は凄い。なにげない、リラックスした文章で、さりげなく哲学的な思考の渦に読み手をさらってしまう。色川武大と田中小実昌はそうした書き手の二大巨頭だろう。古本屋で見かけたら一読を勧めるが、高橋昌男の解説も名文である。