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大野木一彦のJOURNAL・ブルースハープ・ライブ・レッスン情報

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2019年 03月 18日

JOURNAL

若き日の活躍をテレビで見ていたプロレスラーが経営する焼き肉屋さんに夕食に行った。一流レスラー自らが調理する美味な肉を堪能した。一緒に行ったのは音楽でもプロレスでもお世話になっている兄貴分のような友人で、帰りにコーヒーを飲みながらその人に話したことを備忘録として今日は書いておきたい。名指しはしないが、子供向きの映画の主題歌として売れている歌が、あまりに節操のない盗み具合で、聴くたびに辟易してしまう、それを誰か音楽のわかる人に喋りたかったのだ。ラジオを聴く機会が最近多く、とにかくしょっちゅうコレが流れてくる。ラジオとはそういうもの、という気持ちがあり、流れてくるたいていの音楽を聴くともなく聴いているが、これはちょっと耳に残った。最初はカバー曲だと思った。うまく日本語詞が乗っているでしょう?と言いたげな雰囲気だった。しかし何度か聞くうちに、もしかしてこれは、と思うようになった。
超有名曲であろうと平気な顔をして盗み、自らの作曲として発表し大枚を稼ぐ輩は昔から日本には一杯いて、誰のどの曲が、これの盗作とすぐに5つ6つは言えるくらいだが、今回のは中でもひどい部類だ。パロディ、パスティーシュ、オマージュという言葉とは対極にある悪辣さを感じる。パクるなどという軽々しい言葉が蔓延してしまって、盗みという行為の悪の要素が薄められて伝わるようになってしまっているが、この曲に関しては看過してはいけない。明らかな泥棒であり、邪悪な魂の所業である。僕は暗くてじめじめした欲求のうごめきをこの歌から感じずにはいられない。聴いていて恥ずかし過ぎて吐き気に似たものがこみ上げる。僕のような人が、いわゆる怖いもの見たさでダウンロードする事もありうる。それを狙っているとも考えられる。炎上商法というやつです。何にせよ音楽が好きな人間がやることではない。


# by nogioh | 2019-03-18 23:32 | Comments(0)
2019年 02月 02日

JOURNAL

去年、ある喫茶店の周年記念に演奏する仕事をいただき松田ゆうき君と行った。ブルースを聴いたことがない人ばかりが集まるというので、色んな曲を入れて、午後の早い時間と夜と、2ステージやった。そこで「Love Has No Pride」を初めて人前で歌った。ボニー・レイットやリンダ・リンシュタットのバージョンが有名で、女性の歌という印象が強いが、こういう未練一杯の気持ちというのはつくづく男こそが抱きがちなものだなあ、とちょっと苦笑いしたいような気分になりながら歌っていた。作者のエリック・カズは男性だし、そもそもは女性の気持ちを念頭に作ったものではないのだろうと思う。クレイグ・フラーの歌うこの曲も瑞々しい味わいがある。エリックも創設メンバーであったバンド、アメリカン・フライヤーのファースト「American Fryer」に入っている。ウェストコースト・ロック・シーン期待のスーパーグループだったが、地味な活動で終わってしまった。プロデュースはジョージ・マーチン。良いんですよ、このアルバム。
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# by nogioh | 2019-02-02 23:56 | Comments(0)
2019年 01月 20日

JOURNAL

SNSは演奏の宣伝しかしていないし、それで良い気がしている。もっと卑近で個人的なことはこちらに記したい。
テレビを見るともなく見ていたら、椎名桔平が吼えていた。ドラマの宣伝?それを目にして懐かしくてちょっと笑ってしまった。この俳優の転機になった映画「ヌードの夜」を思い出したからだ。バブルは崩壊していたが、一般的にはまだまだ楽観して浮かれ騒いでいた人が多かったであろう93年公開。僕は監督の石井隆の昔の劇画作品にその頃注目していたので、興味があってビデオで見たのだった。憂愁に満ち満ちた劇画をそのまま実写にしたような暗い映画だが、僕は好きだった。細部は忘れかけているが、ストーリーはバブル版・雨月物語のような感じだった記憶がある。狂気と紙一重の淵を彷徨うチンピラが椎名の役どころで、彼は全編吼えまくっていた。その声を久しぶりに聞いて、バブル崩壊直後の、世紀末に向けてひた走る街の雰囲気を思い出して懐かしかったというわけだ。あの当時を懐かしくて笑う、などという日が来るなど想像もしなかった。あの頃の自分がやっぱり正しくて、今はそれを分からくなっているのではないか、つまり自分は退行しているのではないか、という感じすらするくらいだ。それくらい当時は深刻だった。暗い予感が後から後から湧き上がって抑えられないような日々を過ごしていた。個人的にも色々あったが、この「予感」はそういうことではなく、世界規模の精神瓦解の予感、「疾病としての共通言語の喪失」の予感、みたいなことだ。今日通じている言葉が、明日には全然違う意味になって、今日と同じ使い方は出来なくなる、とか…。むにゃむにゃとそういうことを喋ると、当時割と分かってくれる人が周りにいて救われた気がしたことも覚えている。”何が起こっても変じゃない”と歌う曲が売れに売れたのは95年。歌っていたバンドは僕と世代も近いので、彼らもきっと僕と似たようなことを感じていたのだと思う。別にこのバンドのファンということもなかったが、「なっ」なんて勝手に打ち解けた気分になって聴いていた気がする。香山リカの「自転車旅行主義」と岡崎京子の「チワワちゃん」が94年、この二人も世代的に近い。読んでちょっと元気になり、「どうすれば良いんでしょうね、先輩」という気分になっていた。当時の予感のある部分は当たっていたし、杞憂だった部分もある。何にせよ、僕らは生きていて、言葉の通じる人も周りにいる。それは良かったなと思っている。


# by nogioh | 2019-01-20 23:42 | Comments(0)